2020年12月ベートーヴェンという生き方〈7〉

「第九」への道

ウィーン会議以降のヨーロッパを覆った保守反動体制。自由が厳しく抑圧された社会の直中で、ベートーヴェンは晩年の大作「第九」をいかに書き上げていったのでしょうか。

 

平和と引き換えの自由弾圧

ウィーン会議の一コマ

ウィーン会議の一コマ

 前回の当コーナーで書いたウィーン会議。1814年から15年にかけて催されたこの国際会議では、将来のヨーロッパをどのようにするのかについて、様々な取り決めがなされた。
 前提となったのは、それまで十年以上わたってヨーロッパを席捲してきたナポレオンの考えを葬り去る姿勢。彼が各地で巻き起こした戦闘状態を収束させ、ヨーロッパ全体に平和をもたらすことは、何にもまして重要だった。
 また、ナポレオンは各地に戦争を仕掛けるにあたり、フランス革命の精神を広めることを錦の御旗に掲げていた。しかもウィーン会議に集ったのは、革命などもってのほかと考える王侯貴族が中心だった。となると、フランス革命の理念である「自由・平等・友愛」も、厳しく取り締まられることとなる。
 つまり、平和がほしければ自由を諦めろという考え方である。実際ウィーン会議が終結した後のヨーロッパでは、平和を維持するいっぽうで自由を弾圧する、保守反動体制が確立された。

 

立ち込める暗い影の中で

平和な休日を楽しむ人々、カール・シュピッツヴェーグ画

平和な休日を楽しむ人々、カール・シュピッツヴェーグ画

 こうした中で、ベートーヴェンは忸怩たる思いを抱いていたに違いない。反ナポレオンという点でウィーン会議に熱狂し、幾つもの曲まで書いた彼だが、それは毒饅頭に手を伸ばしたのも同然だったからだ。
 つまり、自由な世界を抑圧する会議の片棒を担ぐ行為を、そうした世界の実現を追い求めてきた自分自身がおこなってしまった!さらに追い打ちをかけるように、体調の悪化や、甥の親権をめぐる訴訟沙汰など、彼の人生には暗雲が立ち込めてゆく。
 そうした中で、ベートーヴェンの作風が変化を遂げたのは当然だろう。外へ外へと情熱を爆発させる管弦楽曲ではなく、ひたすら自らの内面へと沈潜してゆく室内楽曲が、訥々と書かれてゆく。
 たしかに、ナポレオンの時代には考えられなかったような、平和な時代が始まっていた。だが、その平和と引き換えに自由が奪われてしまった状況を、ベートーヴェンはどう捉えていたのだろう。その心の平安は、いかなる状態だったのか?

 

ベートーヴェンという生き方

第九初演に立ち会うベートーヴェンの想像画

第九初演に立ち会うベートーヴェンの想像画

 その答えの1つが、1824年に完成・初演された『交響曲第9番』=「第九」にあるといえる。
この作品、十数年間というもの交響曲をぱたりと書かなくなってしまった彼が、久々に発表した交響曲だった。前半を飾る第1・2楽章はいかにもベートーヴェンらしく、聴衆の感情を掻き立てる。
だがそれにも増して、第3楽章の天国的な長さと静謐さは、ウィーン会議以降のベートーヴェンならではのもの。ようやく訪れた地上の平和の中、それでも内面の平安を求め続けざるをえなかった彼の思索が、果てしなく続く。
…結果行き着いたのが、友愛を歌い上げる人々の合唱=声楽を、器楽曲である交響曲の最終楽章に採り入れるという発想だ。平和と引き換えにもたらされた不自由な世界にあって、それでも自らが求めてきた理想世界を、音楽を通じて実現させる。意のままにならない状況をも逆手に取り、独自の道を切り開いてきた、ベートーヴェンという生き方の総決算がここにはある。

 

ベートーヴェン映像トラベル⑦「第九の時代とウィーン」

ベートーヴェン・グッズめぐり⑦「ダイアリー」

ベートーヴェン・ダイアリー

ベートーヴェン・ダイアリー

ベートーヴェン生誕250年を祝い、各地で様々なグッズが作られていますが、そんな中から、お家でも楽しめるものを厳選してご紹介!最終回は「ベートーヴェン・ダイアリー」です。

 「遅いよ」とお叱りを受けてしまうかもしれません。何しろ今回ご紹介する「ベートーヴェン・ダイアリー」、実は2020年用。暮れも押し迫った今、使い物にならなくなりそうな勢いです。
 …なのですが、普通のダイアリー=カレンダー付の予定帳ならいざしらず、「ベートーヴェン」と銘打ってありますからね。表紙に彼の顔があしらわれている以外にも、凝った作りです。
 まず中を開けると、見開2ページが1週間分という構成となっていて、そのほとんどの日にベートーヴェン関係の出来事が記載されています。時には、ベートーヴェン本人の言葉まで出てくる場合も。つまり、ベートーヴェンについて今日何が起きたのかを知りたければ、このダイアリーを開けばよいということでしょう。となると、年が変わっても使えるというわけでお得ですね
 しかも、他にもサーヴィスが満載。見開きページの向かって右側には、ベートーヴェンの所蔵品、直筆譜、彼が出演した演奏会のポスター、当時の出来事を描いた絵画などが、カラー図版として収録されています。また読み物のコーナーがあったり、巻末には作品目録が収められていたりと、一冊で何度もおいしい仕掛けがたくさんです。
 こうした充実の内容が可能になったのは、製造販売元の力も大きく働いているのでしょう。何しろこのダイアリーを出しているのは、ドイツを代表する楽譜出版社ベーレンライター。ベートーヴェンの作品を再検討し、彼が元々意図したであろう形にかぎりなく近い新校訂の楽譜を出版していることでも有名な出版社です。となれば、ダイアリーの中身が濃いのも納得!
 新型コロナウィルス感染症の拡大に伴い、2020年は世界中が暗い影に覆われてしまいました。その中で、ベートーヴェンとともに1年間を歩むことを意図して作られたこのダイアリーには、大きな意味があります。ベートーヴェンの生き方を通じ、彼が求め続けた理想の世に、今を生きる私たちが少しでも近づくために!

 

教えて小宮先生!⑦

みなさんから届いた質問に小宮先生がずばりお答えする、題して「教えて小宮先生!」
とうとう最後のお返事です。ご質問いただいた皆様、ありがとうございました。

 

ランランランさんからのご質問:
 ベートーヴェンのピアノ曲は楽器「ピアノ」の完成の歴史を表すと聞きますが、鍵盤数が次第に増えた事で音域拡大や、ペダル機能やその他どの様に作品が変化していったのでしょうか?
 又、当事のピッチは今より低い様なのですが、交響曲(特に第九合唱付)は現在私達が聴いているそれより、本来ベートーヴェンのイメージはもっと地味(?)な響きだったと言う事でしょうか?(少なくとも第九の合唱に関してはソプラノやテノールパートの人は今より楽だった?(笑)

一言でまとめてしまうと、ピアノの進化は「劇的な表現を可能にする」ことと密接に結びついていました。ご指摘のような音域の拡大、ペダル機能をはじめ、弱音から強音に至る音量(ダイミックレンジ)の拡張、弦とハンマーの関係を改良することで鍵盤へのタッチを変えるとすぐさま音色も変化する…といった具合です。しかもベートーヴェンの時代のピアノは進化の途中だったため、たとえるならば小型車に大型車のエンジンを搭載して走らせるようなもの。場合によっては車体が軋む=音が軋み、濁り、ぶつかり合うといったスリリングな響きが可能になりました。それはオーケストラの楽器においても同じこと。そうなるとピッチの低さも地味に働くどころか、かえって手に汗握る音響空間が出現したわけです。

Velgaさんからのご質問:
 ベートーヴェンの第九はなぜ日本で流行っていて、しかも年末というイメージが醸成されているのでしょうか?

諸説ありますが、有力な説の1つは1943年、第二次世界大戦で戦場へ赴く学徒のための出陣壮行会で第九が演奏されたことがきっかけ。戦後、生還した学生たちが亡くなった仲間を追悼するため、12月に第九を再び演奏したことで、年末といえば第九、という習慣が始まりました。2つ目の説は、戦後の混乱期、NHK交響楽団の前身である日本交響楽団の第九公演が大当たりしたこと。しかもアマチュア合唱団の活動が盛んになるに及び、彼らが第九でプロのオーケストラと共演する機会が増えたこと(理由としては、プロの合唱団がそもそも少なかったところに、アマチュアの合唱団であれば家族や知人がチケットを購入してくれて、オーケストラの収益を確実に見込めたため)が挙げられます。