2020年7月ベートーヴェンという生き方〈2〉

帝都ウィーンでの貴族との付き合い方

22歳を迎える1792年に、ベートーヴェンがボンから移り住んだウィーン。皇帝を筆頭に貴族階級が幅を利かせる帝都で、市民階級出身の彼は貴族とどのように付き合ったのでしょうか。

 

貴族階級を否定したベートーヴェン!?

ルドルフ大公

ルドルフ大公

 貴族嫌いの共和主義者。…そんなイメージでベートーヴェンを描いた伝記や映画は、枚挙に暇がない。
 たしかに彼は、19歳を迎える年に勃発したフランス革命に大きな関心を寄せた。革命精神の体現者を自称するナポレオンに、一時は熱狂的な賛同を示した。そして何よりも、王侯貴族に支配されていた市民たちから、英雄(ヒーロー)のようにあがめられる人気音楽家だった。
 だが、ベートーヴェンが貴族階級を否定していたかといえば、そんなことはない。苦心惨憺の末に仕上げたいくつもの曲を、彼は様々な貴族に捧げている。その筆頭ともいえるのが、ルドルフ大公。ウィーンをお膝元に、ヨーロッパに冠たる大帝国を築き上げた名門、ハプスブルク家の直系にあたる人物だ。
 ルドルフ大公は、プロ顔負けの音楽の才能を具えており、ベートーヴェンからピアノや作曲を習った。またそのためにベートーヴェンは、大公の住むウィーンの街中の皇宮へと、何度となく作曲やピアノを教えに出かけている。

 

 貴族と市民との共存を目指して

王宮内部のレドゥーテンザール、ハプスブルク家の催し物のない時は、一般にも貸し出された。

王宮内部のレドゥーテンザール、ハプスブルク家の催し物のない時は、一般にも貸し出された。

 つまり、特権階級だからといって威張るのではない。そうした立場にあるからこそ、これはという相手を認められる度量のある貴族と、ベートーヴェンは親交を結んだ。
 逆に貴族の側にも、権威主義的な姿勢を改めようとする人々が現れ始めていた。自分たちの立場を守るためには、新興階級である市民を押さえつける代わりに、彼らとの共存を図ることが必要だ、と考えたためである。先月の当コーナーでも書いたように、上からの改革を積極的におこなったヨーゼフ2世が君臨していた街ならではの状況だろう。
 もちろん市民の側も、貴族を惹き付けるためには才能や技量を十二分にそなえている必要がある。特に音楽の世界ではそうだった。なぜか?
 つまり、貴族たるもの音楽の素養があって当然という考え方が、ハプスブルク家を筆頭に根強かった。彼らは自分の下に優れた音楽家を雇うだけでなく、自ら愛好家として演奏をしたり作曲をしたりもした。それも、かなりの水準で。

 

世渡りの上級者としての技

王宮のミヒャエル門 ©Montanabw/CC BY-SA 4.0

王宮のミヒャエル門
©Montanabw/CC BY-SA 4.0

 典型的な存在が、ルドルフ大公である。しかも、音楽的才能に溢れた人物が教えを請うたのだから、ベートーヴェンがいかに尊敬されていたことか。
 一方のベートーヴェンにとっても、こうした状況は都合がよかった。革命が起きたパリに比べると、貴族の力がまだまだ強いウィーンで生活してゆくためには、彼らの力を利用するに越したことはない。しかもウィーン時代のベートーヴェンは、フリーの音楽家としての立場を貫いてゆく。となると、経済的基盤を安定させるべく、金のある貴族を後ろ盾にするのは良い作戦だ。
 というわけで、ベートーヴェンは貴族と、巧みな付き合いを展開した。つまり、彼らに敬意を表しながらも、その見返りを狙ってゆく。ついにはルドルフ大公をはじめとする貴族から、年金契約まで取り付けた。
 ベートーヴェンに見る世渡りのうまさ。しかも媚びへつらいではなく、自身の才能で相手をひれ伏させるあたり、それは上級者のなせる技だった。

 

ベートーヴェン映像トラベル②「ウィーン貴族文化めぐり」

ベートーヴェン・グッズめぐり②「ユーロ札」

  • ベートーヴェン・ユーロ©Beethoven EuroSouvenir

    ベートーヴェン・ユーロ©Beethoven EuroSouvenir

  • ユーロ購入時に封書に貼られていた、ドイツ郵政発行の記念切手

    ユーロ購入時に封書に貼られていた、ドイツ郵政発行の記念切手

 

 ベートーヴェン生誕250周年を祝い、各地で様々なグッズが作られています。そんな中から、お家でも楽しめるものを厳選してご紹介!第2弾は「ベートーヴェン・ユーロ札」です。

 偉い人は、よくお札(さつ)に登場しますね。ですが、ヨーロッパを代表する通貨のユーロでは、紙幣に人の顔が刷られることはありません。EUは色々な国の集まりですから、「おらが国の偉人」が、他の国では「にっくき宿敵」となってしまう可能性が考えられるためです。
 となると、ベートーヴェンのユーロ札はないのか、とお嘆きのあなた!ご安心を。生誕250周年を祝って、ちゃーんと出ましたよ。ただし、額面は「0ユーロ」。つまり、あくまでお土産です。
 とはいっても、「音楽の聖人=楽聖」と崇められてきたベートーヴェンのこと。そんな気高い人をお金にしちゃっていいの?という声も上がりそうですが…。
 ご安心ください!ベートーヴェンも、お金にはがっつり関心がありました。意外なほど貴族と仲良くした理由にも、金づるを掴んでおきたい、という狙いがあったようで。彼が書いた唯一のオペラ『フィデリオ』にも、「金、金、金」という有名ナンバーがあるほどです(笑)。

 

 

教えて小宮先生!②

みなさんから届いた質問に小宮先生がずばりお答えする、題して「教えて小宮先生!」
いただいたご質問へのお返事は12月までの間、よきタイミングで公開します。みなさんもドシドシご質問くださいね。

 

ジェンさんからのご質問:
ベートーヴェンが古典派の音楽の代表とも呼ばれ、またロマン派音楽の先駆けともされて、古典派、ロマン派、またクラシックという名詞について、先生のご専門なヨーロッパ文化の知識と結びついて、素人にも納得できるような説明をしていただけませんか?

 「古典(クラシック)」というのは元々、「前の時代に生まれた手本」という意味でした。ところが19世紀に市民が力を得つと、そのきっかけを作った18世紀末のフランス革命前後の時代が「古典」とみなされてゆきます。
 しかも当時の音楽や絵画は、バランスのとれた若々しさを特徴としています。これなどは、民主制がさかんだった古代ギリシアの建築を思い起こさせるもの。市民社会と民主制は切っても切れない関係にあることから、なおのこと「古典派」というラベリングがなされました。
 ところが当のフランス革命が失敗に終わると、市民の間には失望感が広がります。その中で生まれたのが、あえて革命に背を向けるかのように幻想や怪奇を求める「ロマン派」ですが、こうした変化の時代を駆け抜けたのがベートーヴェン。彼が「古典派」なのか「ロマン派」なのかという2つの異なる見方も、後の世界の人が生み出したものなのです。

メランジェさんからのご質問:
​ベートーヴェンが生きていた時代に一番人気のあった作品は何ですか?

 ベートーヴェンというと、交響曲第5番「運命」や、あの肖像画のイメージが強すぎて、それが彼の特徴であるかのように私たちは思いこみがちです。ところが彼が生きていたころは、それとは正反対の作風の曲も人気でした。
 12月にハーモニーホールふくいで演奏される予定の『七重奏曲』などはその典型で、まるで貴族のサロンでも受け入れられそうな、楽しさや優しさに溢れています。あるいはナポレオンの敗戦を祝って書かれた『ウェリントンの勝利』。今でこそ「ベートーヴェン最大の駄作」という悪評がきかれますが、彼の生前には大人気のオーケストラ曲でした。
 ベートーヴェンを一つの「型」に押し込めてしまったのは、実は後世の人々なのかもしれませんね。

 

ベートーヴェンとユーモア

 『ホフマン(Hofmann)よ、宮仕えの身(ホフマン)にはなるな』。出来がよいダジャレがどうか別として(笑)、これは何と、ベートーヴェンがホフマンという人物に対して作詞作曲したカノン=輪唱です。また6月号のコラムに書いたように、シュヴェンケという友人には、『ふざけ(シュヴェンケ)(Schwänke)ずにこちらを向け(シュヴェンケ)(Schwenke)』なる歌も。
 そもそもこの時代、カノンはプライヴェートの場で、親しい同士ががわいわい言いながら楽しむものでした。というわけでベートーヴェン自身が書いた他のカノンにも、公に知られた表情とは異なる素顔が現れています。『悪魔に食われろ、神様お助けを』、『市民裁判所よ、凍り付け』、『間抜けの中の間抜け』。いわゆる「楽聖」イメージとは異なる、珍タイトルの嵐ですね。
 ちなみに冒頭に掲げた2つの曲。音楽雑誌の付録として、ベートーヴェンの生前に出版までおこなわれています!ということは、彼が生きていた頃は、ひょうきんなベートーヴェンもそれなりに知られていたということでしょう。
 公に発表されたベートーヴェンの曲にも、ユーモアに溢れたものがたくさんあります。ファゴットがポコポコとおどけた響きで音階を駆け巡る『交響曲第4番』の最終楽章。ひょっこひょっことしたリズムに度肝を抜かれる『ピアノソナタ第16番』の第1楽章。
 なおこうしたユーモアがあるからこそ、それとは異なる他の部分が際立つのも事実です。深い祈り、拳を握りしめた闘争、なりふり構わぬ情熱といった、後世の人々が考えるいかにもベートーヴェンらしい要素だけが、彼のすべてではありません。
 死を5ヵ月後に控えたベートーヴェンが完成させた『弦楽四重奏曲第16番』第4楽章も、その一例でしょう。「ようやくついた決心」と題されたこの楽章、序奏部には「そうせにゃならんのか?」、主部には「そうせにゃならん」という書き込みがあり、それぞれの言葉の抑揚に各部のメロディが対応しているほど!
 過酷な人生だからこそユーモアを忘れず、随所にそれを忍ばせる。これもベートーヴェンの生き方でした。