2020年10月ベートーヴェンという生き方〈5〉

ベートーヴェンと器楽

ベートーヴェンといえば「英雄」「運命」「第九」といった具合に、まずはオーケストラ曲が頭に浮かびがち。ですが彼の本領は、少人数のために書かれた室内楽にもありました。

 

声楽優位の伝統を変えながら

混沌の世界に響く神の声のイメージ

混沌の世界に響く神の声のイメージ

 演奏会を景気づけるための「軽い」ジャンルだった交響曲に、様々な工夫や思想を持ち込み、重力級の存在に高めた男…。音楽の歴史におけるベートーヴェンの立ち位置を、こう説明してもよいだろう。
 たしかに、現在では西洋音楽の代名詞のように扱われる交響曲だが、ベートーヴェン以前は違った。何しろヨーロッパでは、器楽よりも声楽のほうが優位という伝統が圧倒的だったほど。神の姿に似せて人間が創られた、という聖書の記述に基づき、口から自然に出る声のほうが、手をこねくりまして作られる楽器の音より神秘的、と考えられたためである。
 というわけで、西洋音楽の花形といえば、オペラをはじめとする声楽曲だった。主役は歌手で、彼らを伴奏する脇役は器楽奏者。その器楽奏者が集まってオーケストラが生まれ、オペラの開幕ベル代わりに伴奏されていた序曲から交響曲が派生した。さらにこうした器楽の地位向上の流れを推進したのが、ベートーヴェンだった。

 

数々の室内楽作品を手掛けて

弦楽四重奏を楽しむハイドン(右側で弓を構えている人物)やモーツァルト(一番左側で演奏している人物)の想像画

弦楽四重奏を楽しむハイドン(右側で弓を構えている人物)やモーツァルト(一番左側で演奏している人物)の想像画

 ただしベートーヴェンは、交響曲以外にも様々な器楽曲を書いている。というよりも、マイクやスピーカーのなかった時代、大勢に訴えかけるジャンルが交響曲だった。
 逆に言えば、大人数の聴衆が集まる機会などそうはない。むしろベートーヴェンにとってみれば、中規模から小規模の聴き手を想定した曲を作ることが、生計を立ててゆくためにも、自身の音楽的充実を図るためにも重要だった。
 というわけで、ベートーヴェンの室内楽作品は、きわめて数多い。最小の単位としてはピアノ・ソナタをはじめとする独奏曲から、様々な楽器の組み合わせによる二重奏曲、三重奏曲…。
 特に有名なのは、弦楽四重奏曲だろう。というのも、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1という陣容は、これにコントラバスや管楽器なども加えてゆくと、やがてオーケストラにまで発展する基本的な編成だからだ。ベートーヴェン作品の中で、交響曲と並んで弦楽四重奏曲が注目される理由である。

 

私的な集いに現れた意外な表情

市民の家庭における室内楽

市民の家庭における室内楽

 こうした室内楽は、どのような場所で、誰によって演奏されたのか?
 当時は、王侯貴族をはじめとする特権階級に独占されていた楽しみを、市民階級も徐々に手にし始めていた頃。ベートーヴェン自身、貴族と太いパイプを持つかたわら、音楽好きの市民も大事にした。となるとその室内楽曲も、貴族の屋敷と並び、市民の住まいで取り上げられることを想定して書かれてゆく。
 しかも貴族にせよ市民にせよ、職業音楽家顔負けの腕前と音楽への愛情を具えた人が、この頃は大勢いた。つまり曲を聴くだけでなく、自ら演奏するというのが、一般的なスタイルだったのである。
 ベートーヴェンもこうした音楽愛好家を念頭に、編成においても内容においても、多様な室内楽曲を作り、出版した。またそのため、よくあるベートーヴェンイメージのような激しさや厳めしさだけを期待していると、簡単に裏切られる。私的な集いだからこそ、公的な場では見られない彼の意外な表情が現れる。

 

ベートーヴェン映像トラベル⑤「ベートーヴェン温泉紀行」

ベートーヴェン・グッズめぐり⑤「ジャム」

ベートーヴェン・ジャム ©STAUD’SSabine Klimpt

ベートーヴェン・ジャム
©STAUD’SSabine Klimpt

ベートーヴェン生誕250年を祝い、各地で様々なグッズが作られていますが、そんな中から、お家でも楽しめるものを厳選してご紹介!第5弾は「ベートーヴェン・ジャム」です。

 これまでこのコラムでご紹介してきたベートーヴェン・グッズ。強引な関連付けのものもありましたが(笑)、それなりにベートーヴェンと接点はありました。
 ところが今回は…、全然ありません!いちごジャムなので、無理矢理こじつければ、ジャムの赤い色が情熱家のベートーヴェンみたい、となってもよさそうですが、製造元の宣伝文句にもそんなフレーズは皆無。
 まあ、これこそが記念グッズの記念グッズたるゆえんかもしれませんね。まったく関係がなくても、「ベートーヴェン」という名前を冠して売ってしまおうというような。ここまでくると、もうあっぱれという心境です。
 大体ジャムってえのは自分で作るもの、あるいはベートーヴェンの頃であれば百歩譲って、農家が自家製のものを売りにくるのが当たり前だろう。工場で作られた出来合いのジャムを買うなんて、昔はありえなかったろうに!と考えてしまうのが人情ですよね。
 ところが、何とジャム製造業なる商売が始まったのは、1795年のこと。スコットランドの街ダンディーが発祥の地だそうです。となると、まさにベートーヴェンとリアルタイムですね。ベートーヴェンは革命の時代に生き、彼自身音楽の世界に様々な革命をもたらした人ですが、その流れはジャム業界にもあったのでしょう!
 といっても、ベートーヴェンがダンディー産のジャムを食べたかどうかは、まったく分かりません。強いて言えば、彼はスコットランド民謡の編曲をしているので、スコットランド繋がりということで行けるかも…。
 ちなみに、くだんの「ベートーヴェン・ジャム」を作っているのは、ウィーンのジャム製造会社です。何でも、果物屋の両親の下に生まれた創業者が、1971年に立ち上げたものだそう。最初は1人ですべてをまかなっていたのですが、今ではウィーンを代表する企業にまで昇りつめました。何だかベートーヴェンみたいですね。だから、ベートーヴェン・ジャムを作ったのかは不明ですが。

教えて小宮先生!⑤

みなさんから届いた質問に小宮先生がずばりお答えする、題して「教えて小宮先生!」
いただいたご質問へのお返事は12月までの間、よきタイミングで公開します。みなさんもドシドシご質問くださいね。

 

ヒーチヤンさんからの質問:
はじめまして。私は、幼少期から大のクラシックファンなのですが、未だに知らないことだらけで、恥ずかしい思いをしております。 ところで、多くの作曲家の中には、大変多くの恋をする人がおられますが、ベートーベンもその一人かと思います。然し、彼はなぜ、結婚して、幸せな家庭を作れなかったのでしょうか? 出来るだけ、史実に則って、詳しく教えてください。 宜しくお願い致します。

 ベートーヴェンが生涯独身だった理由として、「身分違いの恋」がよく挙げられます。18世紀末に起きたフランス革命に見られるように、古い身分制が変化を遂げるにつれ、階級を超えて人間同士の交際が可能になりました。さらにこうした時代の中で、結婚観も変化します。それまでであれば、親や家の意思によって取り決められていた結婚が、個人間の自由な恋愛に基づくようになりました。当然、「結婚をおこなわない」という選択肢がでてきます。
 しかも近代社会が誕⽣する中で、結婚に関する条件を国が決めるようになります。(当時はその中に、「国家に従順である」などという 項⽬も含まれていました︕)となると、「恋愛はできるが、結婚はできない」ということもありうるわけで、その影響を正面から受けたのがベートーヴェンでした。

後藤&ラヴェルからの質問:
GOTOトラベルでようやく活況を呈してきた日本の温泉宿のみなさんにはエールを送りたいところです。さて、ドイツの温泉宿って全くイメージが湧かないのですが、一泊二食付きだの個室露天風呂だの、そのような文化はなさそうに想います。いったい欧州の人々は、どのように温泉を楽しんでいるのでしょうか。

 ドイツ語圏の温泉でも、「2食付き」はよくあります。ただし「1泊」というケースは少なく、「3泊」や「4泊」が当たり前。休暇をまとまってとることに後ろめたさがないからこそ、可能なのでしょう。
 つまり、1ヵ所に滞在してゆっくりと過ごす湯治スタイルが普通です。しかも今月の動画でもご紹介したように、温泉に浸かるだけでなく温泉を飲んだり、周囲の自然の中を歩いたりと、都会の塵芥を払い落し、自然からのエネルギーを貰うことに主眼が置かれています。また、体だけでなく心にも休息をということで、小さいながらも劇場が建てられ、演劇やオペラ、演奏会が開かれるのが、ドイツ語圏の温泉のぜいたくさ。となると温泉自体、人々が互いに触れ合う社交場のような性格を持つようになるため、「温泉付き個室」はあまり存在しません(笑)。

ベートーヴェンと女性

 「彼は大変女好きだった。特に美しく、若々しい顔つきの女性には目がなかった。何かしら魅力的な女性のそばを通り過ぎると、振り返り、眼鏡越しにしげしげと眺め、私がその様子を見ていることに気づくと、照れ笑いをしたり顔をしかめたりした。」
 これはリースという人が、自分の先生について書いた回想録の一部です。その先生とは、他でもないベートーヴェン!衝撃のコメントですね。ちなみにリースは他にも、ベートーヴェンの女性関係にまつわるとんでもない裏話を…しかも全然悪気なく…披露してしまっています(笑)。
 たとえば、ある日リースがベートーヴェンの家を訪ねると、中に女性がいました。ベートーヴェンはこの女性を口説き落とそうと、折よくやって来たリースにムードのある音楽をピアノで弾かせたのですが、結局彼女は出て行ってしまいました。リースがベートーヴェンに「あの女性は誰です?」と訊いたところ、憮然としたベートーヴェンは「俺も知らん、さっき通りで初めて知り合った」と言いましたとさ…。
 単に女にだらしないオッサンですね。しかもその人が、自らの身を挺して夫を助ける人妻を主人公にしたオペラ『フィデリオ』を作ったり、身分違いの女性との情熱的な恋に身を焦がしたり。さらには、かの有名な「不滅の恋人への手紙」をしたためたなどとはとても思えません。
 何しろ史上有数のラヴレターとして知られるこの手紙、最後の方はこんな風ですから。「僕の心はいっぱいだ、君に言いたいことがたくさんあって。ああ、言葉なんて何の意味もなさないような瞬間があるように思えてならない。元気を出して、僕の誠実な唯一の宝よ、僕の全てよ、君にとっての僕のように。」
 いやあ、リースの証言と比べてとんでもないギャップ!ちなみにベートーヴェンの女好きは、50歳を超えても健在だったようで。「第九」初演に出演した女性歌手にセクハラまがいの質問をかまし、逆に彼女からやりこめられています。